町内区分概略図
地域の道路と橋
※国土地理院地図を元に作成
町内条丁による区分
※国土地理院地図を元に作成
町内会連合会全体図
※国土地理院地図を元に作成
各町内会の区域
小野幌連合会
区域図(別ページで開きます)
厚別東2条7丁目1~13番
厚別東3条7丁目1~20番
厚別東4条1丁目1、2番
厚別東4条2丁目1~4番
厚別東4条3丁目1~3番
厚別東4条4丁目1、7、9~11、13番
厚別東4条7丁目1~32、34~36番
厚別東4条8丁目1~18番
厚別東4条9丁目1~5番
厚別東5条1丁目1~4番
厚別東5条2丁目1~7番
厚別東5条3丁目24番
厚別東5条4丁目1~10番
厚別東5条7丁目1~5番
厚別東5条8丁目1~10番
小野幌ニュータウン町内会
区域図(別ページで開きます)
厚別東2条3丁目8番
厚別東2条4丁目6、7番
厚別東2条5丁目9~14番
厚別東2条6丁目4番
厚別東3条3丁目2~14番
厚別東3条4丁目1~7番
厚別東3条5丁目1、2番
厚別東3条6丁目1~5番
厚別東4条3丁目1、2番
厚別東4条4丁目1~8、13番
厚別東4条5丁目1~11番
厚別東4条6丁目1~4番
厚別東王子町内会
区域図(別ページで開きます)
厚別東1条5丁目10~18番
厚別東ひまわり町内会
区域図(別ページで開きます)
厚別東1条3丁目2~13番
厚別東1条4丁目2~9番
厚別東1条5丁目3~9番
厚別東2条3丁目2~5番
厚別東2条4丁目1~3番
厚別東2条4丁目8~16番
厚別東2条5丁目1~8、15~24番
もみじ台通り町内会
区域図(別ページで開きます)
厚別東1条6丁目1~8番
厚別東2条6丁目1~3、5~8番
厚別東イトーピア町内会
区域図(別ページで開きます)
厚別東1条1丁目1~4番
厚別東2条1丁目1~5番
厚別東高台町内会
区域図(別ページで開きます)
厚別東1条2丁目1~4番
厚別東1条3丁目1、2、10、12~14番
厚別東1条4丁目1番
厚別東1条5丁目1、2、19~21番
厚別東1条6丁目9番
厚別東2条2丁目1~3番
厚別東2条3丁目1、6~11番
厚別東2条4丁目4、5番
厚別東2条6丁目5~8番
厚別東3条1丁目1、2番
厚別東3条2丁目1番
厚別東3条3丁目1番
厚別町下野幌38、41、45、49、2012番
厚別東地区の歴史から
厚別東地区の開拓
明治22年
山口県出身の秋本槌五郎が JR森林公園駅付近に入植がはじまりという
明治24年
徳島県、富山県から入植
明治32年
小野幌小学校の前身の小野幌簡易教育所が開設
一面樹林に覆われ空も見えない状態だった。家や畑を作るため木を切り倒したが その木を収入源として炭焼きを行っていた。
開墾当初は「そば」、「粟」、「稗」などを栽培していた。
明治25年
秋本が1200坪の水田試作を始めた。そして次第に水理のあるところで水田潅漑が難しい丘陵地では畑作りが進められた。
水田の耕作が拡がると 野津幌川と小野幌川の水量では農業用水の必要量を確保することが難しくなってきた。
掘り井戸、溜め池、手押しポンプでの水の汲み上げでも不足分の補っていたが、これでも役に立たなくなってきた。
両方の川は融雪期を除いては水量の少ない川だった。開墾し水田を作っても水不足で収穫がなく開墾した土地を放棄する人達もいた。
こんなことで、
昭和2年
白石村議会議員の樋口重蔵たちが恒久的な溜め池として工事に着手した。
昭和3年
これで現在の瑞穂池が完成した。
昭和30年
大決壊を起こし、記念碑などが流失した。
昭和32年
修復に膨大な費用がかかるため、意見の対立などがあったがこの年に再建された。
小野幌地区が自然豊かな恵まれた新興住宅地と注目されるまではこの地区の水田地帯を支えてきた。
※ 出 展
・掲載の地図はすべて国土地理院の「地形図・地勢図」をもとに厚別東パソコンクラブ作成。
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1
・「国土地理院コンテンツ利用規約」に準拠しています。
https://www.gsi.go.jp/kikakuchousei/kikakuchousei40182.html
・厚別東町内会連合会の各町内会の区域については札幌市のホームページを参照しました。
https://www.city.sapporo.jp/atsubetsu/machi/soshiki/atubetuhigasi.html